🔍 古語拾遺の完全訳


『神武天皇』の治世の最後に、火山噴火が起こった。

それを、『皇族の不敬』に対する、天の怒りと解釈されて、大慌てで伊勢に神社を作って鎮魂祈祷したのが『天岩戸開き』

天兒屋命アメノコヤネノミコトはその時に、エース級に活躍した神職で、その孫の代に

『中臣祓詞』に素戔嗚尊のことを書き込んで、永久に中身を変えないことにした!

とあるので、『神武天皇』の孫あたりの時代(古墳時代の初期で西暦250年頃?)
このあたりの記録(古文書)の書き写しと推定される。

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【原文と直訳】(大祓詞の謎解き)

又 令 天富命 率供作諸氏造作大幣おおぬさ訖 令天種子命 《天兒屋命之孫》 解除天罪国罪事 所謂天罪者 上既設訖 国罪者 国中人民所犯之罪 其事具在 中臣祓詞

又 天富命アメトミノミコトに命じて供作諸氏による大幣おおぬさ造作完成せしめ 天種子命アメノタネコノミコト天兒屋命アメノコヤネノミコト之孫》に天罪・国罪事解除せしむ 所謂天罪者 上既に設けられたるものなり 国罪者 国中人民犯した罪なり 其事 中臣祓詞 に具に記されたり


爾乃 立靈畤於鳥見山中 天富命 陳幣 祝詞 禋祀皇天 徧秩群望 以答神祇之恩焉 是以 中臣 齋部二氏 倶掌祠祀之職 猨女君氏 供神樂之事 自餘諸氏 各有其職也

そこに 靈畤鳥見山中に建て 天富命アメトミノミコト幣陳列し 祝詞述べ 皇天に禋祀し 群望徧秩し 神祇恩に答ふ 是により 中臣氏・齋部氏その二氏共に祠祀職掌り 猨女君氏 神楽事供し 他諸氏 各々其職有す

テーブルデザインピンク2行 あれ? 中臣ナカトミ祓詞はらえことば? これって『大祓詞』のことですよね?
詳しい解説に興味がありますか? それでは、【原文】の現代訳バージョンと解説になります。
古語拾遺こごしゅうい』第2部 (大祓詞の謎解き) 「従五位下」官位 斎部宿禰廣成いんべのすくね ひろなり (奈良・平安時代)

また、天富命アメトミノミコト 様の儀式において、中臣なかとみ や斎部いんべ など、複数の氏族が協力しながら 大幣おおぬさの動き(お祓いのカサカサを振ること)を作り上げました。 大祓の儀で、この神聖なカサカサを振り「天の罪と国の罪を解く」という役割が与えられたのは、 天種子アメノタネ 天兒屋アメノコヤネ命 の孫)でした。 ここで言う「天の罪」とは、大王様の若君が『天の怒り』を買った、あの罪のことを指してまして、「国の罪」とは、国内の人々が犯した罪を指します。 これらの罪の中身は、中臣ナカトミ祓詞はらえことば に記述されており、その文言は今後も不変でございます。 その後、霊山における特に神聖な場所を選んで、神社が建てられました。 三輪山を御神体とする、大神神社おおみわじんじゃのことではないか? 神社の由緒を見ると、出雲の大国主がどうたら…と書いてあるが、記紀ききがテキトーな作り話をでっち上げ、本当の由緒はこちらなのでは?) ここで天富命アメトミノミコト 様が、天を治める最高の神を讃える豊かな祭祀を行い、供物を捧げ、祈りを唱え、我々は、天の意に沿った、多くの人々の願いが広く行き渡る政権運営への期待 に応えます…… そのような、天に対する、誓いの儀式を執り行われたのです。   ・    ・  この儀式では、中臣氏ナカトミシ と斎部氏サイベシ が共に祭祀の職を担い、猨女君氏サルメノキミシ が神楽の事を担当されました。 その他の氏族もそれぞれの役割を持ち、この神聖な儀式の成功に貢献されたのでございます。 この儀式を通じて、天を治める最高の神と天皇との間にはさらに深い絆が結ばれ、天の援護が約束されたのでございます。

📼 作者の斎部廣成いんべの ひろなり 一人語り風

中臣ナカトミ祓詞はらえことば』における重罪の扱いについて、説明申し上げます。 「素戔嗚尊の不敬はなぜ重罪と扱われたのか? あの程度で」と思われるかもしれませんが…… 彼の犯した罪によって『天の怒り』を買い、『火山噴火』が起こった。 当時はそのように解釈されたからでございます。 神に遣える皇族の身でありながら、天に対する挑発的な『不敬』を働いた罰であると。 さらに、田んぼに対する『不敬』な行為そのものも、地域の生命線を壊滅させる行為。 田畑は食糧供給の源であるゆえ、それを荒らす行為とは、大量の餓死者が生まれる危険な行為だったわけです。 従って、このような行為こそが、『極めて重大な罪』と定められたわけでございます。 一方で、戦闘中に敵を倒すことは『軽罪』どころか、正しき道を作った『英雄の行為』として讃えられました。 これは、『神の聖戦』と捉えられ、社会秩序の維持に寄与するものとされていたからでございます。 『罪の扱い』は、『大祓の儀』での『神の息吹』1つで消えることもあるくらいですから、『罪に対する考え方』そのものが、今の世の常識とは違うということですな。

🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説

『大祓詞』は、現在広く認識されている形は、

夏と冬に行われる、私たちが半年間に積み重ねた罪や穢れを、紙の人形ひとがたに転写して、それを川に流したり、火で清めることで、神社の神々が祓い清めてくれる、ありがたい伝統

このように解釈されており、実際どこの神社でもそう説明しておりますが、実は現在知られている『大祓の儀式』は、時代が移り変わる中で誤解された形からきています。 解説すると…… 元々この儀式は、天皇が『個人的な恩赦』を示すための、宮中での行事でした。 『神武天皇』 の〝息吹放ち〟によって、罪がたちどころに消えるという、年に2回設けられた『恩赦の陳情』の場。 しかし、時代が経つうちに、その由来や意図はあいまいになり、その伝統の中身が少しずつ誤解され、後継天皇の代(平安時代)になる頃には、歴史の間で改変が生じています。 平安時代の頃の『大祓の儀』は、時の天皇による『業務中のそそうに対する特赦』と解釈され、個人の陳情を直接聞く形ではなく、形式的なイベントに成り下がっています。 さらに時代が経つうちに、仏教に誤解され、それを神社が逆輸入する形で拾い上げ、現在信仰されている形に落ち着いたわけです。今では、古来から伝わる神様への特赦の祈りだと、完全に信じられています。 『大祓詞』の謎を解き明かす 伝統が途中で失われ、時とともにその形を変え、全く新しい意味を持った間違った解釈が、完全に信じられている。 『日本神話』に対する誤解と同じですね。 『日本神話』に対する誤解も、人々は『古事記』や『日本書紀』は、古来から日本各地に伝わる神様の話の土地伝承をまとめられたものと誤解されてますが、この『古語拾遺』を見れば分かるように、意図的に作られた物語。 しかし、これは『日本神話』の事実を綴ったものではないか? と大真面目に解釈した、江戸時代の国学者、本居宣長もとおりのりながの誤解を起点に、間違った解釈が学術界に定着し、今日に至るまで続いている。   ・    ・  古代の時代は、天皇陛下は神々の導きを受け、天の声を聞きながら、国の治政にあたっておりました。 このような政治スタイルは、民衆に対する説得力を持ち、王様の指導に対する信頼と尊敬にも繋がりますので、学術界ではこれを、権威を確立するための『政治的パフォーマンス』と捉えておりますが…… 実際には、世界各地の歴史を調べてみると、偶然とは思えないほど『神々に導かれる話』が各王朝に存在しており、あながち『政治的パフォーマンス』も言い切れないのです。 もっと踏み込んでいうなら、『どうも本当っぽい』 古代の時代では、本当に一人の神が、当時の人々の方向性を直接導いていたのかもしれません。 紀元前600年以前の古代の神々の解説 日本においても、天皇陛下は、神々との繋がりを通じて、国の繁栄のための政治を行う使命をお持ちでした。 天皇政治の方向性は、神聖な啓示に基づいており、その決定や方針は、神々の意志として貴族以下の人民に伝えられました。 さらに、天皇陛下は天からの知恵を借りて、国内の平和と秩序を保つためのルールや制度を確立されました。 これにより、豪族・氏族間との対立や混乱を最低限に抑え、国全体の安定を、長期にわたって維持できたのです。 天皇の政治は『地上の独裁者』という意志はなく、神々の意志を反映した神聖な政治。 その方向性は、当時の民の心に深い感動を示し、鎌倉時代のスタート(1185年)で武家政治にとってかわられるまでの約1000年もの間、(近代日本の歴史の半分以上)日本の歴史において重要な役割を果たしていました。 NEXT『古語拾遺』第3部 歴代天皇の治世








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